ちぐさボランティアの山口さんの録音レポート

 「今日はライブの感じで録っていきたいと思います。手始めに4曲続けて行きたいのですが、その前に音のバランスを調整したいので… A Train、やってみて頂けますか?」と、コントロール・ルームのサウンド・ディレクターが声をかけ、いよいよ レコーディングが始まった。

 ここは横浜みなとみらい地区のランドマーク・プラザにある「LANDMARK STUDIO」、ショッピング・モールの中の隠れ里だ。スタジオの中はボーカル・ピアノ・ドラムス・ベースとパートごとのブースに分かれていて、正面のモニターでしか全員の姿を見ることは出来ない。ミュージシャンはヘッドフォンを通じてコントロール・ルームでミキシングされた全体音を聞きながら演奏する。

 ウォーミングアップをかねて、少し流し気味に「Take the ”A" Train」を終えると、ミュージシャンがプレイバックを聞きにコントロール・ルームに入ってくる。モニターの音を聞きながら「ベースが出すぎかなあ、ドラムのレガートをもう少し出して」「バックを少し抑えてボーカルを前に出して」… 出てきた注文を聞きながらレコーディング・エンジニアがバランス調整をして、聞き直す。何回かそんなやり取りを繰り返して、「じゃあ、本番いきましょう」と ディレクターが促し、ミュージシャンはブースへと帰っていく。

 

 「予定の曲順をかえてA Trainから始めて4曲続けていきます」とディレクターが声をかける。
 …A Trainから始める? これは単なる偶然だろうか?

 

 再開された「ちぐさ」のカウンターの上に1枚の大きな写真パネルが飾ってある。1986年12月にTBSで放映された「地球浪漫」の収録時の記念写真だ。吉田衛ちぐさ店主を中心に、「ちぐさ」ゆかりのミュージシャンたちの顔が並んでいる。
  この時のビデオの出だしはデューク・エリントンのTake the "A” Train。画面では、穐吉敏子さんと日野皓正さんが二人連れで久し振りに「ちぐさ」を訪れ、吉田さんとの再会を喜ぶ、そこへ、金井英人、清水潤、谷啓、 安田伸、石橋エータローといった錚々たる面々が訪ねて来て、最後に原信夫さんが加わり、「本日休業」の札を出して、昔話に花を咲かせる。

 

 「折角集まったんだからジャム・セッションをやろうよ」とエータローさんが言い出し、狭い店内にピアノやドラムセットを運び込み、始めた曲が「Take the "A” Train」。


 若き日の穐吉さんがピアノ・ソロを取りながら流し目風に吉田さんのほうを見やっている。吉田さんは感無量といった感じで演奏に聴き入っている。演奏が終わると音を聞きつけて店の外に集まっていた見物人たちから拍手が沸きあがる。
 あれから30年近くあとに同じA Trainで新生「ちぐさ」のレコーディングが開始されるとは…

 

 録音ブースの中では、ドラムの田鹿さんのカウントでA TrainのTake-1が始まる。1曲終わったところでプレイバックを確かめにブースから戻ってモニター音を聞き、何となく納得がいかないといった顔をしていたベースの古野さんが「あの大きなスピーカーから音出せないかな」と指を差す。それは小型の録音ブース用モニターと違って、40センチほどのウーファーが2個ならび、その上にホーン型のミッドレンジを2個のトウィーターが挟むSony SEM-5Wというシステム。
 それは1986年のビデオにも写っていた「ちぐさ」のスピーカー・セットとほぼ同じ構成のいわば「昔のジャズ喫茶仕様」。早速切り替えると、音の響きもバランスもライブらしい音の世界が拡がる。「これだな」といった顔をしてその場にいた皆が納得。

 2曲目「Summertime」、3曲目「All of Me」、4曲目「When You Wish Upon a Star」、5曲目「港が見える丘」とTakeを重ねながらレコーディングが進んでいくにつれてライブらしい雰囲気も盛り上がってくる。コントロール・ルームで立ったり座ったり、始めは、何となく落ち着かないといった風情だった、麻里さんの「後見人」、そして和ジャズの本家、開運橋のジョニーの照井さんも、「港が見える丘」が始まる頃には、ゆったりと椅子に座って足拍子を取っている。

 

 6曲目「アンダルシアの風」、今田さんのヒット・チューンにカップヌードル・ミュージアム館長の筒井之隆さんが詞をつけたボーカル・バージョン曲の演奏が終わるとコントロール・ルーム内のスタッフたちから思わず拍手が沸きあがる。
 「これカラオケに入れたいね」「カスタネット持って、振りをつけて…」と言った軽口も飛び出し、張りつめていた室内に一気に和やかなムードが拡がる。プ レイバックを聞いたミュージシャンも納得のニコニコ顔。「あの時のちぐさ」でのライブを楽しんだ人たちの笑顔と同じ笑顔だ。

 この日までの半年の間レコーディングの準備に関わったプロデューサーの柴田さんと福島さん、元レコード会社の城水さん、サウンド・ディレクターの江口さん、マネージャー役の鈴木さんに陰の仕掛人「村田家」の藤澤さんをはじめとする大勢のスタッフの思いとミュージシャンの心が一つになってスイングしている 瞬間をとらえた、このレコード。

 再開後の「ちぐさ」を訪れた若い人が「店内にはタンスのように大きなスピーカーが二つ並んでいました」とツイートした、ちぐさの歴史が染み込んだあのスピーカーで聴くのが待ち遠しい。


ジャズ喫茶ちぐさ ボランティア・スタッフ 山口誠之